自己愛性パーソナリティはこだわりの強い生き物です
自分の意見を曲げると死ぬというぐらいがんこ
僕自身の話をすると
祖父が亡くなった
↓
親は葬儀にでろという
↓
当時患者さんがいないなかでようやく店に患者さんを呼べるようになった
なので仕事を優先したいと伝える
↓
親からすると
お前はおかしいといわれる
何度も電話で話す
↓
だんだん葬式にすら行きたくなくなる
とりあえず葬式がどうのよりも命令されているのが嫌で腹が立ってる
↓
「爺さんはいかなくてもわかってくれる」
と自分が言い出す
でも本音は
葬式に出ないこと批判されすぎたのと
自分が苦労して集めた患者さんたちの事を
一蹴されたこともあり
親の言うことを聞きたくない
↓
結局いかない
親戚から批判や避難される
「家族なのに」と強調されるのが凄く嫌だった
正直そこまで家族愛などない
↓
自分は死んでる人間よりも生きてる人間
が優先だと考え方を変えない
↑
この考え方が受け入れてもらえないことがずっと悲しかったんだ
そして自分が培ってきたものを一瞬で否定されたように感じた
(患者なんていつでもくるだろと言われたことをずっと根に持っている)
自己愛性パーソナリティ障害は、大切に思ってきたものをなんにも価値がないといわれたときに強い反発をだします
しかし自己愛性パーソナリティ障害者自身も同じように
相手に対して
尊厳や、譲れないものを一瞬で否定します
口では「○○のためを思って」とか
「○○すべきだよ」など
相手の理屈が理解できないのにこの考えをごり押しされる
「そういう意見もありますよね」という反論を許さない
そして誘導していく
↑
これは
自分都合にはまってもらわないと困るという意思の表れです
自分の親が自己愛だとこの前記事に書きましたが
僕は父親を否定して生きてきました
それは父が自己愛で僕はそれに従いたくなかった
父からすれば
なんでいうことをきかないんだ?
と思うかもしれませんが
僕はその通りにしたくなかった
なぜならコントロールされるのが嫌いだから
それでも僕自身が自己愛になったのは
歪んだ
受け取り方をしてしまっているんだろう
と今はわかります
自分が自己愛と自覚したときまわりでだれが自己愛なのか?
すぐにわかるようなります
特に自己愛同士だとお互いに利用しあっていたりマウントを取り合っているのも
わかってしまうので
僕は会話に加わりません。
ただ自己愛の人に色々言われると
いまだにどぎつい一撃を入れてあげたくはなりますけどね
その時その場にはもういれないので今は加害をしないようにしています